これからの1000年を紡ぐ企業認定
Sep 6.2019

社寺建築業界に新風を吹き込む若い宮大工集団。過去と現在と未来の日本文化をつなぐ「匠弘堂」

神社や寺院に行くと、私たちは細部にまでこだわった社寺建築の美しさに魅了されます。日本の伝統建築技術は、宮大工によって、1300年以上の歴史を経て受け継がれてきました。宮大工の技術伝承が途絶えれば、社寺建築を未来に残すことはできません。2001(平成13)年に設立された匠弘堂は、工業化や自動化が進む中、質にこだわった手仕事を追い求め続けています。業界の常識にとらわれない発想で真摯にものづくりと向き合う、代表取締役の横川総一郎さんにお話を伺いました。

社寺建築業界に新風を吹き込む若い宮大工集団。過去と現在と未来の日本文化をつなぐ「匠弘堂」

岡本棟梁の教えを1000年先まで伝えることが、私たち匠弘堂の使命

大学で機械工学を学び、卒業後は家電メーカーに入社したという横川さん。その後、建築設計事務所に転職し、社寺建築の魅力にはまりました。横川さんにとって大きな転機となったのが、今は亡き宮大工棟梁 岡本弘氏との出会いでした。岡本棟梁は1933(昭和8年)生まれ、15歳から大工として仕事を始め、吉野神宮(奈良県吉野郡)、速谷神社(広島県廿日市)、門戸厄神東光寺(兵庫県西宮市)などを手がけました。

横川さんが岡本棟梁率いる大工集団と出会ったのは、1995(平成7)年、自分が設計監理で担当した現場でした。そこで宮大工の技術に圧倒され、この人たちの下で設計の腕を磨きたい、“本物”の図面を描けるようになりたいと、岡本棟梁が所属する工務店への転職を決意しました。そこで社寺建築の設計を一生懸命学びますが、数年後、その工務店が突然倒産してしまいます。

その時、横川さんは大きな決心をしました。「岡本棟梁と一緒に会社を立ち上げ、宮大工をプロデュースしたい」。設計者である自分は前に出ず、建築の本来の作り手である宮大工を前面に出した理想の社寺建築会社を作ろうと考え、岡本棟梁に思いを伝えました。社名の「弘」という字は敬愛する岡本棟梁の名前から拝借。「私たちは、岡本棟梁より受け継いだ伝統的木造建築技術を駆使して、高い品質と大きな感動を届け、日本文化の伝承と発展に貢献します。」という経営理念を掲げた、宮大工が主役の会社「有限会社 匠弘堂」がこうして誕生しました。

横川さん: 匠弘堂は、京都市に本社と工房を構える社寺建築専門の工務店です。古い業界にあえて新規参入し、社寺建築の新築や修復を手がけています。「良い技術を教えるよりも、良い人を育てることが最優先」という考えを持つ岡本棟梁は、創業期から若手人材を積極的に採用し、鍛え上げてきました。会社をここまで続けることができたのは、人間教育を第一に、神社の宮司さんやお寺の住職さん、そして元請けの建設会社の方々にも喜んでいただけるよう、丁寧で誠実な仕事をしてきたからだと思っています。宮大工の仕事を通して、日本の記憶・日本の歴史・日本の文化を後世に残していきたいです。

時代の流れの中で失われつつあるものづくりへの誇りを、取り戻したい

現在の建築業界では、設計者が設計をし、大工が木の部分だけの施工を行う分業制が一般的になっています。しかし、かつては「大工」といえば建築に携わる職人たちのトップに立ち、設計・デザインから見積や材料調達、職人の手配、施工監理にいたるまで全工程の責任を担う職業でした。中でも宮大工は特別な存在であり、幕府や大名のお抱えとなって武士階級に準ずる地位に上り詰めた者も。社寺建築を任された者は皆、仕事に誇りを持ち、良いものづくりを日々追究していたのです。

しかし、ものづくりへの誇りは時代の変化とともに失われてしまったと、横川さんは話します。明治維新により近代国家へと生まれ変わった日本では、古い価値観は否定され、廃仏毀釈運動によって寺院や仏像が次々に打ち壊されました。宮大工たちは仕事を失い、生活のために西洋建築に身を投じざるをえない状況になってしまいます。その流れで設計と施工が分業されるようになり、今では大工が設計に携わることはほとんどなくなりました。また、設計者の仕事も近代建築が主になり、伝統的な木造建築技術を正しく伝承することが難しくなっていきます。最近では建築業界に限らず各業界で不正が相次ぐなど、社会全体の課題として、ものづくりに携わる人たちのモラルの低下が浮き彫りになっています。こうした現状に対し、匠弘堂は様々な取組をしてきました。

横川さん: 世の中が大きく変わり、日本のものづくりの良さが忘れ去られていることに対しては、非常に危機感を持っています。社寺建築の技術はどれも1000年以上も昔から受け継がれてきたものばかりで、私たちが新たに考え出したものは一つもありません。岡本棟梁は「小手先の技術をいくら教えても、良いものはできない。人としてのあり方、仕事への向き合い方を学べば、自ずと良いものができる」という言葉を遺してくれました。経営理念のもとに「品質力」「人間力」「技術力」の向上という行動指針を掲げ、従業員一人ひとりが誇りとやりがいを持ち、質にこだわって仕事に取り組めるよう配慮をしています。若い社員が集う組織だからこそ、人を育て、技術を正しく継承する会社でありたいですし、嘘偽りのない本物の仕事を発信して若い人にものづくりの素晴らしさを伝えることも、自分たちの大事な役割だと思っています。

かつて大工は、設計も含め建築に関する全責任を担っていました。その姿に戻すため、弊社は設計と施工、両方の機能を社内に持っています。施工を行う大工部門と設計部門との間に上下はなく、同格の位置付けで協力し合い、一体となって社寺建築に臨みます。

設計の時点から大工も意見を出し、設計者も積極的に施工現場の声に耳を傾ける。お互いに問題点を共有し、議論しながら、技術を高め合う体制を整えてきました。設計部門に現場の声がしっかり届くので、より精度の高い設計技術が会社に蓄積されます。その結果、施工における無駄な手間を省くことができ、施工にかける時間を全て品質向上のために使えるようになりました。施主様が求める質の高い社寺建築を提供する基盤が、徐々にできてきたと自負しています。こうした取組を広げ、建築に携わる職人たちに誇りを取り戻してほしいです。建築職人の社会的地位を上げることで、ものづくり国家としての日本の尊厳も復活させることができるのではないかと思っています。

お客さまに向けて、そして社会に向けて、宮大工の仕事を発信しています

匠弘堂は創業時からWebサイトを開設し、積極的に情報発信を行ってきました。特にこだわったのが、宮大工の顔写真を掲載することです。道の駅で農家さんの顔写真が貼られた野菜を見たことがヒントになり、施工事例の建築作品だけを並べるのではなく、宮大工の仕事ぶりを伝えることを意識してきました。

横川さん: 創業当時からずっと、学校や民間企業の工房見学・視察を受け入れてきました。そのきっかけとなったのは、おそらくこの業界で初めて企業サイトを作ったことです。2018(平成30)年からは社内に広報部門を新設し、SNSも活用してインタビュー記事や社員ブログの発信を行い、他社メディアからの取材も積極的に受けています。また、工房を一般向けに開放するオープンファクトリーも実施しています。お客さまである神社や寺院の方々、将来入社してくれるかもしれない若者たち、そして日本の歴史や伝統建築に関心を持っている世の中の大人たち。様々な人に向けて「宮大工の仕事」を発信していくことにより、木造建築の素晴らしさの訴求と、建築業界の地位・モラルの向上を図っていきたいと考えています。

他には、実際に行う工事についても情報をオープンにすることを心がけています。業界の体質として、工事の内容は大工にお任せで、お客様には詳しい説明をしないというのが一般的でした。しかし、完成後に建築を維持管理するのは宮司や住職の方々ですし、氏子さんや檀家さんも建物の状況を気にかけておられます。私たちは、作業内容をお客さまに説明・確認し、納得していただいた上で施工を進めるようにしています。古い建物は図面が残っていないことがほとんどで、事前に調査採寸を行って現状図面を作ります。雨漏りなど問題点の原因追及と同時に、構造上の弱点を紐といて、具体的な対処方法を提案書にまとめていきます。現状の課題や解決のアプローチを誰が見てもわかりやすく説明することを心がけており、50ページ以上の資料を作ってプレゼンをすることも少なくありません。終了後にお渡しする工事報告書は、100年後、200年後の修理に役立つ資料としての役割も果たします。手間はかかりますが、歴史と文化をつなぐ伝統建築を保存するためと未来に伝えるための価値ある取組みだと考えています。

こうした活動は技術の向上にもつながり、2012(平成24)年には宮大工の全国技能競技会で6年目の社員が準優勝。その後も社員の入賞が続いており、一人ひとりが高い技術を求め、お互いに研鑽する土壌が育まれていることが分かります。

横川さん: 職人の世界には「師匠の仕事を見て盗め」という慣習が長く根付いていました。私たちはそこから脱して「伝える」という価値観を大切にしたいと考え、先輩が後輩を指導する環境を作ってきました。また、弊社には年功序列の文化もありません。若いメンバーがのびのびと力を発揮できる環境作りを常に意識し、やる気と実力のある社員には積極的に成長機会を提供しています。

匠弘堂には、新入社員が最初の2年間は契約社員として働くという制度があり、これを「現代版徒弟制度」と呼んでいます。若い人ほど、実際に働いてみて「自分がやりたいことはこれじゃなかった」と気づくことも多いですよね。2年間の契約社員期間があることで、未経験の若者を柔軟に受け入れることができています。現在は従業員13名のうち6名が建築科以外の出身です。技術を次世代に残す仕事だからこそ、門戸は広く開いておきたいんです。契約期間が終わった時に、転職の相談を受けて転職先を一緒に探すこともありますし、本人や就職した会社から数年後にお礼の連絡をもらうこともあります。現代の働き方や若者の生き方に合ったこの徒弟制度で社会への還元を実現できていると考えています。

日本独自の美しい木の文化を1000年先まで伝えたい

社寺建築は、数百年に渡って利用される建造物です。現代を生きる大工たちは過去の工事から技術を学び取り、100年後、200年後に解体修理をする大工は、今の工事から技術を学ぶのです。長い年月を経て技術を伝える仕事のあり方は、まるで未来へのタイムカプセルのよう。だからこそ、手を抜くことは許されません。

「仕口」や「継ぎ手」と呼ばれる、木材を組む大工の技があります。いくつかの工法があり、どれを選ぶかによって強度や手間が変わってきます。匠弘堂では、屋根を受ける母屋(もや)材の継ぎ手には必ず、強度の高い「追掛け大栓継ぎ」という工法を用いています。簡易な工法の4倍以上の時間を要しますが、建造物の強度と耐久性は格段に増すと言われています。このような技術を積極的に活用することで、高度な技を未来の宮大工に伝えようという姿勢が伺えます。

横川さん: 奈良時代に書かれた日本書紀に「スギとクスノキは舟に、ヒノキは宮殿に」という一節があるように、日本人は古来より木を大切に扱ってきました。時代や地域によって様々な工夫をしながら、生活に必要な道具のほとんどを木材から作ってきたのです。中でもとりわけ大きな構造物である社寺建築は、約1300年以上の歴史の中で日本独自の進化を遂げてきました。「見えるところは当たり前、見えないところほど気配りを」「解体しても恥ずかしくない仕事をせなあかん」。岡本棟梁のこうした教えを、1000年先まで伝えたい。宮大工の仕事を通して日本の木造建築技術を正しく伝え、働く人の生きがいを生み出し、大切な木の文化を守ることが、私たち匠弘堂の使命です。

取材・文:石井 規雄 / 柴田 明(SILK)

■企業情報

有限会社匠弘堂
〒601-1122 京都市左京区静市野中町413
TEL|075-741-1888
URL|https://www.kyoto-shokodo.jp/


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photo:横川 総一郎(よこかわ そういちろう)
横川 総一郎(よこかわ そういちろう)
匠弘堂代表取締役、設計、営業、経理担当。昭和39年京都生まれ。 大学では機械工学を専攻、家電メーカーを経て建築設計の業界へ飛び込む。現場にて岡本棟梁らと出会い、感銘を受け、岡本棟梁に入門。 のちに3名で「匠弘堂」起業。松下幸之助氏の「志あればかならず開ける」が信条。 趣味は楽器演奏、ドライブ。辰年、O型。

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