SILKの研究
Sep 19.2020

明治から現代へ。技術革新と新しい役割│堤 卓也│連続インタビュー「価値観と関係性が紡ぎ続ける経済圏」

京都のまちと地域企業のあり方を紐解くインタビュー企画「価値観と関係性が紡ぎ続ける経済圏」。研究者3名と経営者3名に、1000年を超える京都の歴史と未来への姿勢について、お話を伺いました。第5回は、株式会社堤淺吉漆店(1909年創業) 専務取締役 堤 卓也さんに戦前から戦後、そして現在にいたる地域企業のあり方についてお話しいただきます。

モデレーター:一般社団法人リリース 桜井 肖典さん

明治から現代へ。技術革新と新しい役割│堤 卓也│連続インタビュー「価値観と関係性が紡ぎ続ける経済圏」

[目次]
1. 減少の一途をたどる漆産業
2. 素材への敬意が、技術革新の原動力に
3. 新しいものづくりの生態系を作りたい
4. さいごに

1. 減少の一途をたどる漆産業

───堤さんは現在、株式会社堤淺吉漆店の4代目として経営をしながら、一般社団法人パースペクティブの活動もされていますね。そこにいたるまでの経緯もお聞きしたいのですが、まずは漆産業の現状について教えていただけますか。

漆産業は明治時代から現在まで、急激に縮小し続けています。日本で扱われている漆はほとんどが中国産なのですが、昭和初期に年間約2,000トンあった輸入量が、2018年には年間36トン、およそ50分の1に減ってしまいました。国産漆にいたっては、ここ数年の年間生産量はわずか1トン程度。国の施策によりかろうじて守られているような状況です。現状を知れば知るほど、漆をめぐる問題の大きさ、深さに頭を抱えてしまいます。

───業界が縮小していく中で、創業から現在まで、各時代の変化にどう対応してこられたのでしょうか。

堤淺吉漆店は、創業期からずっと漆の精製を生業にしています。曽祖父である初代 堤浅吉は漆屋で丁稚奉公をして、1909(明治42)年に独立しました。歴史を遡ると、江戸時代には漆は調度品や武具に使われており、国産漆は幕府によって守られていました。ところが明治維新以降は、市場が縮小した上に、輸入漆が普及し始めます。

昭和になると、軍用の資材として漆が大量に使われました。漆はさび止めになるので、砲弾などに塗っていたんです。中国から輸入漆が入ってこなくなり、漆産業は政府からの統制を受けました。京都では1社だけが生産を認められ、うちはやむなく休業することに。工場の道具も軍用資源として取られてしまいます。その時に曽祖父が必死に隠して、1つだけ手元に残った手グロメ鉢が、今も工場に置いてあります。

2. 素材への敬意が、技術革新の原動力に

───たいへんな時代を生き抜いて、漆の精製を続けてこられたんですね。

戦後も中国との外交関係が悪化し、漆の輸入は不安定なままでした。その影響もあって、漆を真似た「カシュー塗料」という合成塗料が一気に普及してしまいます。漆は扱いが難しいし、時間も手間もかかるので、簡単で早い合成塗料を選ぶ人が増えていきました。

そんな中、2代目となる祖父が事業を続けられたのは、「箔押し漆」という金箔を貼るための漆のおかげでした。金閣寺にもうちの箔押し漆が使われています。ちょっとしたことなのですが、精製方法が特殊なので、この技術を守るために最近までうちは工場を公開していなかったんです。僕は小さい時からよく工場に行っていました。何か壊れても、工場に持っていくと祖父が漆で直してくれて。じいちゃんがかっこよかったから、僕は漆をいいものだと思って育ったんだと思います。

次の父の代では、叔父と共に化学的な技術革新に力を入れ、耐候性に優れた漆を開発します。これが「光琳」というオリジナル商品になり、特許を取得しました。他にも吹き付け用漆や工具メーカーとの共同開発商品など、事業の幅を広げていきます。業界が縮小する中でも、各時代に合った独自の技術が認められて、生き残ってきたんです。

僕が会社に戻ってきたのは、2005(平成17)年。その時には、もう漆の輸入量は年間約100トンまで減っていました。北海道で別の仕事をしていたのですが、製造が忙しいから手伝ってほしいと家から電話がかかってきたんです。父は「漆は絶対に大丈夫だから」と楽観的でしたが、お客さんや職人さんに挨拶に行くと「よくこんな業界に帰ってきたな」と言われましたね。そこから13年経った2018(平成30)年には、漆の輸入量は36トンになりました。京都にたくさんあった漆屋は、今はもう4社しかありません。

───世代ごとにイノベーションを起こすことで、厳しい業界の中でも必要とされて残ってこられたんですね。その原動力になっているものは、何なのでしょうか。

ひとつは、素材に対する敬意だと思います。漆は無駄にしてはいけない大切なものだという考え方が、初代からずっと受け継がれています。一滴でも無駄にすれば怒られましたね。桶の掃除をする時にも漆カスをかなり細かく取るので、社外の人にはびっくりされます。

うちの会社は漆を自分たちで精製するので、毎日素材に触れて、湿気や温度による微妙な変化を肌で感じています。全部データとしても残していますが、やはり感覚で捉えられないと、データだけではどうにもなりません。僕が最近、社外で色々な活動をできるようになったのは、弟とその感覚を共有できるようになったからです。以前は、精製の現場を離れることができませんでした。粘り度をどう表現するか、どのタイミングで手を止めるか、微妙な感覚を弟と合わせることで、今は外にいても、電話で話せば漆の状態を把握できるようになりました。

実は、僕たちが質を安定させることで、漆を塗る職人さんたちの感性を潰しているのかもしれない、と悩んだこともあります。もともとは、日によって状態の違う漆を、職人さん自身がそれぞれのやり方に合うように調整しながら使っていたんですよね。でも僕たちは精製技術を高めることで生き残ってきた……ならば、これからやるべきことは何なんだろうと考えました。工場をオープンにしようと決めたのは、ものづくりの現場から漆のおもしろさを伝えていくことを大事にしたいと思ったからなんです。そしてもう一つ、時間をかけて培った技術や感覚は、簡単に真似できるものではないと思えたことも大きかったですね。

3. 新しいものづくりの生態系を作りたい

───今のお話ともつながると思うのですが、4代目として、ご自身の役割をどのように考えておられますか。

漆の持っている力を伝えることが、僕の仕事だと思っています。なぜ昔から人が漆を大切にしてきたのか、その本質を伝えていかないと、漆の価値が理解されずただの扱いづらい高級塗料になってしまう……そんな危機感を持っています。数年前から、文化財のために国産漆を残そうと国が動いています。もしその施策がなかったら、国産漆はもう途絶えていたんじゃないかと思います。産地はどこも問題が山積みで、自分にできることなんて何もないと半ば絶望していたので、国の発表を知った時はめちゃくちゃ嬉しかったです。でも、国が守ろうとしているのはあくまでも文化財のための漆で、一般の人たちの生活に漆が届くわけではありません。漆の木が育つ山や漆掻き職人さんの状況を知っているからこそ、感じることがあります。僕たちがもっと多くの人に伝える努力をしないと、漆は残っていかないんです。

───その思いが、社外での活動にもつながっているんですね。

僕自身が、漆っておもしろいなって思っちゃったんです。危機的な現状があって、関わると大変なことは目に見えているから、知らんぷりしようとも思ったんですけど。子育てやサーフィンを通じて感じることと、漆から見えることがつながった時に、向き合わざるを得なくなりました。今の規模ではそこまではできないけれど、本当は森づくりにも関わりたい。漆の木を育てたいと思うようになってからは、「100年先のことを考えよう」と会社でも話すようになりました。技術や品質の先にあることを考えようと、意識が変わったんです。

文化財の施策がなくなったら会社の売上はどうなるかという試算を、何度もしました。そうなれば、どう考えても今のままでは会社を続けられません。でも、社員さんに辞めてくれとは絶対に言いたくない……だから、生き残るための新しい道を探すしかなかったんです。

最初は会社の人たちには何も言わず、休日と夜の時間を使って「うるしのいっぽ」というメディアを作りました。自分で取材をして、記事を書いて。義理の弟に手伝ってもらいながら、漆のよさを伝える活動をこっそり始めたんです。

漆を塗った木製サーフボードを作りに、オーストラリアにも行きました。地球に優しいサスティナブルな塗料として、たくさんの人が注目してくれました。根底にあったのは、漆を残したいという気持ちです。経営の視点から考えたのではなく、工場の人間として、純粋にそう思いました。

4. さいごに

───最後に、京都という土地について伺いたいです。京都のどんなところを大切にされていますか?

僕は京都で生まれ育って、京都を出たいと思ってはるばる北海道の大学へ行きました。戻ってきて感じる京都のよさは、つながりの中でものを作っていることですね。漆は、ものづくりの生態系があるところでしか生きられないんです。うちが精製して、職人さんが塗って、蒔絵師さんが描いて、さらに磨く人、金箔を貼る人、そして使う人、寺社だったら参拝する人がいます。多くの人が関わってできたものが、次の世代まで続いていく。その一部でいられることを嬉しく思います。

僕の役割は、文化財の領域を超えて、全く新しいところに漆の生態系を育てていくことだと思っています。これまで漆に関わりのなかった人たちを巻き込んで、人が集まる場を作りたい。人間は昔から森や畑でとれる素材からものを作って、衣食住の彩りを楽しみながら生活してきました。そういうものづくりが文化を作って来たんです。僕たちは、京北を拠点に、人と自然との関係を近づけるものづくりの場を作りたいと思っています。それが豊かで、幸せな生き方だと思うから。

文:柴田明(SILK)

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photo:堤 卓也
堤 卓也
株式会社堤淺吉漆店 専務取締役

明治42年創業。採取された漆樹液(荒味漆)を塗漆精製から、調合、調色を一貫して自社で行う、国産漆トップシェアの漆メーカー。4代目として漆の新たな価値観を伝えるプロジェクトを推進している。(一社)パースペクティブ共同代表。

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